Top >  山口百恵来歴 >  引退後

引退後


引退後

引退後も常にマスコミやファンからの注目を集めているが、一貫して芸能界とは距離を置いている。ただし作詞家として活動したことがあり、1982年にアン・ルイスに提供した「ラ・セゾン」がヒットしている。

私生活では2人の息子をもうけた。私生活に執拗に迫るマスコミと小競り合いを起こしたこともある。また三浦・山口夫妻宅に強盗が押し入る事件も発生したが、幸い大事もなく解決している。

現在はキルト作家として活躍。作品が東京国際キルトフェスティバル等の展示会に出品されることも多い。元トップアイドルという肩書きによってではなく、その作品の完成度から、支持を集めている。

節目ごとに多くのベストアルバムが発売されている。デビュー30周年にあたる2003年には未発表曲1曲を含む24枚組CD BOX『MOMOE PREMIUM』が発売され、このヒットによりブームが再燃した。レコード会社の商業戦略という側面も否めないが、ブームとは関係なく永遠のアイドルスターであり、戦後日本の歌謡界においては美空ひばりに次ぐ伝説的存在となっている。ポスト百恵として歌謡界のトップスターとなったのは、百恵の引退と入れ替わるようにデビューした松田聖子であった。

1980年のシングル「謝肉祭」は、歌詞の中で連呼する「ジプシー」という言葉が差別的表現であるとして1990年代後半以降レコード会社が発売を自粛した。このためベスト盤CDや引退コンサートのCD・DVDも不完全な形で発売していた。しかし2005年5月25日発売の「コンプリート百恵回帰」にアレンジバージョンが収録される形で復活し、2006年1月18日発売のライブCD・DVD BOX「MOMOE LIVE PREMIUM」での、引退コンサートは『謝肉祭』を含むノーカット版が収録された。

引退25年・ホリプロ創立45年にあたる2005年、山口百恵の楽曲を使用したトリビュート・ミュージカル「プレイバックPart2~屋上の天使」が上演された。ホリプロ創業者の堀威夫によれば、ABBAの楽曲を使用したミュージカル『マンマミーヤ』がヒットしたことに刺激され、何れは人々の記憶から薄れていく可能性がある山口百恵の存在を守っていくのが使命であると考えているとのことである。

「記憶から薄れていくことに抗う」という意味の主張を自著「百恵讃~学生たちと先生の山口百恵」を通して展開している、同志社女子大学助教授、影山貴彦との符合性もある。

 <  前の記事 結婚
 |  トップページ
 |  次の記事 レコード
 > 


このページについて

このページは「山口百恵は永遠なり」の記事のひとつです。

他にも多くの記事があります。
トップページサイトマップもご覧ください。




スポンサードリンク
  • 英語の上達法
  •    
  • 速読トレーニング
  • アンティーク柱時計
  • インバターについて
  • はり師試験合格
  • CB400の魅力
  • ノートパソコンの選び方
  • よくあたる有名占い師